AEDを使う心肺蘇生法(CPR)ホームページ
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いのちをつなぐ ひとをつなぐ こころをつなぐ

ICLSが大々的にどんどん広がっていった原動力は、「成人教育」ですね。
菊地 仲間が増えていったり、ICLSが大々的にどんどん広がっていった、その原動力は何なんだったのかなぁ?
漢那 その特徴は、多分、「成人教育」 ですね。その当時、すでに瀬戸口さんが香港でAHAのコース受けていて、やっぱ成人教育学的な話とか知っていたり、吉田先生達も成人教育学やっていたりしていたので・・・。
菊地 うん。
漢那 今までの従来型はですね、僕らが下手なことをすると、九州なんで、殴る蹴るじゃないですけど・・・(笑)。
菊地 はっはっはっはっ (笑) 。
漢那 はっはっ (笑) ・・・後ろから蹴りが飛んできたりね、拳固がとんで来たりという、そういう抑圧された中での研修医生活や医員生活をしていたわけですけど、そうじゃなくて、やっぱ、教育はこういうもんじゃないといけないっていうのをですね、教えられたっていうのがある意味大きかったと思うんです。
まあ、そういう中で 「成人教育学」 の手法をかなり取り入れた事で、心肺蘇生に対する、医療従事者全般の人達の敷居が下がったんだろうと思うんですね。
菊地 ええ。なるほど。
漢那 心肺蘇生なんか、ただでさえ、ほら、テーマが重いじゃないですか。更にそういうところで 「お前は出来てねえ」 とか言われてさあ、落ち込んじゃって、やる気無くして、「いや、私はもういいです」 ってなると思うところなんだけど・・・。
菊地 うん。
漢那 そこでちょっと皆さんをなだめすかしながら、ホメ殺しじゃないんですけども、出来てると 「あー、そこ良いですよー」 とか言ってね。誉められると、うれしいじゃないですか。前向きになるじゃないですか。
ところが、その当時、臨床の場では、そういう事が無かったんでしょうね。
菊地 はっはっは (笑) 。
漢那 結構みんなから評判がよかったんで、「ウチでもやってください」 みたいな感じになって、そういう事で、それでどんどんどんどん広がって、特に中国・四国の人達とのつながりが出来ていったんよ。
菊地 あー、そうなんだ。
漢那 広島では金子高太郎先生と石原先生。岡山は氏家先生・・・今、岡山大学の救急医学の教授なんですけども、僕らの方でこういうICLSっていうのをやってるって聞きつけて、「岡山でもこういうのしたいなー」 って思ったんじゃないですかねぇ。
「岡山に来てくれ」 って言われて。
菊地 はあー。
漢那 で、岡山でコースを開催した時の窓口になったのが、今、沖縄にいる林峰栄だったわけです。
菊地 あー、なるほど、なるほど。
漢那 そこでやって、あのへんの人達に火がついて、岡山は岡山でいろいろ・・・NPO作ったりとかしてですね、心肺蘇生の教育活動がダーッと広がったんです。
菊地 なるほど、なるほど。
漢那 そいで、彼、沖縄好きなんで、自分が沖縄に異動するんやったら、その後の後継者は誰が良いのかっていう事で、彼も人を見る目があったんでしょうね。
循環器の斎藤先生が向いてると思ったみたいで。で、斎藤先生を紹介されて・・・。
菊地 あ、そうなんだぁ。そこから今につながってくるねぇ・・・。
漢那 そうそうそう。そいで、林先生も丁度その頃にね、AHAのインストラクターになったばっかりだったんだけど、「将来、岡山でAHAコースを展開するなら、斎藤先生が適任だから」 っていうことで、彼はいきなりボーンって沖縄へエスケープ (笑) 。
菊地 あー、なるほどねぇ (笑) 。
漢那 四国は、例えば香川の坂出市民病院の吉川先生とか、そこにいた看護師さんとか中心になって進んでいったんです・・・。
菊地 ふーん。
漢那 愛媛は、僕、越智元郎先生と、emlというメーリングリストを通じて結構仲良かったので、それで、越智元郎先生が企画してくれて。
現場のコーディネーターが越智ともこ先生で、四国でする時の窓口になったんですね。
岡山でICLSやった時に、麻酔科の教授だった新井達潤先生が見学されていて、「こういう成人教育学的なコースは素晴らしい!」 みたいに言ってくれたんですね。
菊地 ええ。
漢那 で、そこにAHAコースが入ってきて、その流れで部分的に一緒にやってきたみたいな感じ。
だから、広島と岡山と愛媛と香川にはICLSを種まきして、それからの付き合いなんですね。
菊地 ふーん。
漢那 北海道の今泉先生にも、頼まれて行って・・・。
札幌医大でICLSを最初に広めに行ったのは、僕と吉田先生と、みかどちゃんやったんで・・・。
菊地 へー (笑) 。
関西方面、大阪なんかも関係してんじゃない?
漢那 うん、まぁ、さっき言った、九大循環器内科にいた瀬戸口さと子っていうのがですね、九大の循内を辞めて、京都の総合診療部に行ったんですね。で、その時の上司が、福井次矢先生。今、聖路加病院の院長になってる・・・EBMとかで有名な。
菊地 あーっ。うんうん。
漢那 で、福井次矢先生が 「良い事だから、研修医全員にやってほしい」 って事で、僕ら九州から全員ワーッて遠征していって、そこでICLSコースやったんですけど、実はそこに見学に来ていたのが、大阪市立大学の西本先生と小林先生。
菊地 うんうん。
漢那 で、僕たちのパフォーマンスを見て、なんか衝撃を受けたみたいで・・・。「自分らもしたい」 みたいな感じになって・・・。
菊地 ふーん。
漢那 その後、大阪へ僕は行けなかったんやけど、「広める会」 ということで、野田英一郎が行ったんですね。そしたら、その時に、大阪大学におった平出先生が、「あー、これはいい」 という事で・・・。
それから大阪は、西本先生と小林先生と平出先生とかでICLSの方向にずっと広がっていったということ。
菊地 あー・・・なるほど。医師会や救急医学会にまでICLSを広げていったからね・・・。
漢那 うーん。大阪人っていうのは、ある意味凄くて、救急の事とかやったら、大阪府全体で 「バッ!」 ってまとまるパワー持ってるんで・・・。
だって、ほら、ウツタイン登録も最初にやり出したの、大阪じゃないですか。だから、ICLSがそういう感じで 「グウァーッ!」 という感じで広まって・・・。
菊地 うん。・・・いつくらいのこと?
漢那 それが、2001年・・・ですね。
うーん・・・だから、ある意味、竹下先生に後ろから 「押し転がされた」 というか・・・ (笑) 。
菊地 ははは (笑) 。
始まりは、ある意味、循環器と接点を持ってるわけだよね。そういう肩を押されたところから始まったんだね (笑) 。
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シリーズ 「いのちをつなぐ ひとをつなぐ こころをつなぐ」 の第三回目は、九州大学の漢那朝雄先生にご登場いただきました。
菊地とは同い年ということもあって、ACLSなどの蘇生教育を通じてすごく親しい間柄になっています。
 EBM: evidence-based
medicine (根拠に基づいた医療) 、「良心的に、明確に、分別を持って、最新最良の医学知見を用いる」 医療のあり方をさす。エビデンスに基づく医療とも呼ぶ。(Wikipediaより引用)
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