AEDを使う心肺蘇生法 トップ > いのちをつなぐ 目次 > 第一回 平盛勝彦先生 > その1 温泉なら岩手県へ行こう。いつどこで倒れても誰かが助けてくれるから。
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菊地 |
先生、岩手県で心肺蘇生法を普及させていく、1992年あたりのことをお伺いしたいのですが・・・。 |
平盛 |
ああ、いいよ。何でも聞けよ。 |
菊地 |
先生の 「白衣を脱いだらみな奇人」 っていう本にも、 「温泉なら岩手県へ行こう。いつどこで倒れても誰かが助けてくれるから」 っていうキャッチフレーズで県民運動をやられたくだりが載ってるんですが、そのフレーズは先生がお考えになったんでしょうか? |
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平盛 |
県民運動を始める時にな、キャッチフレーズを募集したんだよ。県全体に。で、審査委員会作って・・・。 そしたらねえ、優秀作が非常にクラシックで、面白くもなんともないコピーだったんだよ。 |
菊地 |
はい。 |
平盛 |
それで、これは僕には使えないと思って、自分で考えて、で、作ったんだよ。 このコピーは、うまくいったね。 |
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菊地 |
あのコピーはですね、僕が、そのまま先生から譲り受けて使っているんですけれども、先生が…内科学会総会でしたっけ?・・・どっかで・・・。 |
平盛 |
日本医学会総会と日本内科学会教育セッションでやったことあるな。 |
菊地 |
ええ、そんな事があったので、岩手県以外の方にもですね、 「あっ、これ見た事あるよ」 とか、言ってもらった事があってですね、結構インパクトが大きいんですよ。 その点では、凄く成功したんじゃないかと思います。 |
平盛 |
そうだよな。 |
菊地 |
ええ。 そう、モリーオ社のホームページにもそのスライド写真と岩手観光協会の温泉のリストも、載せてありますね。 |
温泉なら岩手県へ行こう |
平盛 |
あれ、探すのがなかなか大変だったんだ。 |
菊地 |
あの、写真ですか? |
平盛 |
うん。だって、温泉の宣伝用の写真はみな若い女性でしょ? |
菊地 |
ええ。はー。 |
平盛 |
あれは、おじさんたちの中におばさんが1人いる・・・ なかなか無いんだよ、ああいう写真。 |
菊地 |
いや、あのスライドを用いて講演すると、皆に 「どうして若い女性の写真じゃないんだ」 って言われるんです。 「温泉っていったら、若い女性の方がインパクトあるんじゃないか」 とか、 「どうしておじさんなの?」 とかって言われて・・・。 「いやー、でも、心臓発作を起こすのはおじさんが多いですからね」 と答えていたんです。なるほど、やっぱり結構探したんですか。 |
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平盛 |
探したんだよ。 |
菊地 |
やっぱり、そうなんですか。 |
平盛 |
あれは、大沢温泉の新館なんだけどね。そこのパンフレットにあって、ああ、見つけたぞと思った。 |
菊地 |
へえー。やっぱり、そうなんですね。 |
平盛 |
そりゃ、意図的でなきゃ、ほとんど若い女性だもんな。 |
菊地 |
まあ、でもそっちのほうが目を引くと思うんですけど・・・。 |
平盛 |
蘇生法だぞ! |
菊地 |
はははっ(笑)。 |
平盛 |
そんな、温泉に入っている若い女性が心臓発作なんて・・・。 |
菊地 |
そうですね。その通りです。 |
平盛 |
ギャップ大きすぎて。ダメでしょ。 |
菊地 |
やっぱりそうだったんですね。 先生の意図は知らなかったんですが、そう答えていたんです。 |
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シリーズ 「いのちをつなぐ ひとをつなぐ こころをつなぐ」 の記念すべき第一回目は、モリーオ株式会社代表の平盛勝彦先生にご登場いただきました。
先生は菊地が医師1年生の時からのお師匠さんです。
平盛勝彦先生の略歴
1939年広島県生まれ。
1964年京都大学医学部卒業。京都大学医学部内科、東京女子医科大学循環器内科、国立循環器病センター内科心臓部門を経て、1990年より岩手医科大学第二内科教授。
2005年3月 定年退職。
現在モリーオ株式会社代表。
平盛勝彦先生の著書
あるドクターの本音と本当。
どの医者も書かなかったホントの話です。モリーオ社起業の経緯も書かれています。
※ 「温泉なら岩手県へ行こう。いつどこで倒れても誰かが助けてくれるから」
このコピーは、平盛先生が1992年に岩手県で
心肺蘇生法の普及を始めるにあたって作り出した努力目標です。
我々は岩手の温泉がこのコピー通り安全な場所になる事を目指して、更に努力を続ける必要があります。
※ この写真は大沢温泉の許可を得て掲載しています。