AEDを使う心肺蘇生法(CPR)ホームページ
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いのちをつなぐ ひとをつなぐ こころをつなぐ

AEDも岩手県では先駆けていましたね
菊地 もうすでに5年以上経ってしまいましたが、 「ガイドライン2000」 でAEDの重要性が強調されて、最近どんどんAEDが普及されだして来ましたね。
平盛 外圧に圧される格好でね。
菊地 最初のころ、日本全体では下火だったと思うんですが、その点、岩手では先駆けていたと思うんです。
平盛 ああ、そうだな。
菊地 あれは、心肺蘇生だけでは足りないという事がすでにわかっていたのでしょうか。
「ガイドライン2000」 が出たと同時に、先生は 「AEDの普及」 へ取り組みだしたと思うんですが、やっていてわかっていたんでしょうか。
平盛 そりゃそうだよ。
平盛先生
菊地 あー、やっぱり。
平盛 岩手県でのあのグラフ(図1 、わかるだろう。
バイスタンダーリサシテイション (その場に居合わせた人が行う心肺蘇生法) は非常に増えてきたけれども、救命率はたいして変わらなかった。
菊地 はい。
平盛 それで、どうしても除細動が要るんだと。
それが出来るようになるまではダメだって分かっていた。
菊地 それで、AEDが出てきたから、・・・
平盛 出てきたというか、・・・。
1991年にできた救急救命士制度を検討した時の厚生省の委員会では、僕も委員だったんだよ。
菊地 そうだったんですか。
平盛 国立循環器病センターのCCUのトップだったからね。
行ってみて、何の事か分からんでポヤーンとしていたんだよ。
菊地 はははっ(笑)。そうですか。
平盛 で、喧喧諤諤やってたんで、何かと思ったら、権益争いだ。
菊地 ええ。
平盛 大塚さんね。亡くなった・・・日本医大の。
それから誰だっけな、とにかくいろいろ派閥があってね。
菊地 ええ。
平盛 で、それで難しくモメてるっていうのが、僕には分からなかったんだよ。外から来て話を聞いててもね。
なにがモメてるのかいなと。
菊地 その委員会の話し合いで?
平盛 厚労省のホームページ探したらまだあるかもしれない。救命士制度が出来た時の議事録とか・・・。
そこで、今のAEDの原型だよ、それを一回その委員会の場に持ってきて、 「これを救命士に使わせようと思うんだけども、どうしようか」 って検討したんだよ。
あれが、AEDを実際にどう使うかという日本で最初の話だよ。
菊地 ええ。
その時は、あんまり進まない方向にあったんですか。
平盛 それはそれは大変なもので、市民が使うものではもちろんなくて、救命士に使わせるのも良いとか悪いとかで・・・。
菊地 医者じゃないからっていうあれですね・・・。
平盛 そうそう。
だから、普及なんかしないわけだ。
菊地 うーーん。
平盛 それで、一般の市民が使えるようなところまで出来上がったAEDが製造されて。それからだ。
それがやっと出てきたんで、これで岩手県はうまくいくと思ったね。
岩手県の成人の半分以上が心肺蘇生法を既に習っているからね。子供でも、習ったのがいるよ。
菊地 そんなに以前から先生はAEDをご存知だったんですね。
菊地先生
平盛 だから、もう市民がAEDで除細動できる、PADだと。
菊地 確かに、これまで心肺蘇生法講習を受講した人数が違いますものね。
平盛 その前に、住民の身近にいる医師会の先生たちにAEDの重要性を分かってもらった。
初めのうち、心肺蘇生法の講習会はその地域で開業している先生方と一緒にやったんだよ。
菊地 ええ。
最初は開業医の先生にポツポツ買っていただいて。
そのあと医師会でまとめて100台買ってもらって。
引き続き、すべての県立病院に入ったりしたんですよね。
その後はどうなってるんでしょうか?
平盛 知らんよ。
菊地 はははっ(笑)。
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シリーズ 「いのちをつなぐ ひとをつなぐ こころをつなぐ」 の記念すべき第一回目は、モリーオ株式会社代表の平盛勝彦先生にご登場いただきました。
先生は菊地が医師1年生の時からのお師匠さんです。

盛岡の風景

開運橋の花壇
盛岡駅から歩いて数分で開運橋に到着します。下を流れる北上川の堤防沿いには花壇が作られ季節の花が目を楽しませてくれます。
 ガイドライン2000
その2参照
(クリックで拡大)市民への講習会
市民への講習会
※ PAD
 一般市民が行う除細動
Public Access
Defibrillation
(クリックで拡大)AED 1,000 台設置運動
AED 1,000 台 設置運動