AEDを使う心肺蘇生法 トップ > いのちをつなぐ 目次 > 第七回 白戸隆洋先生 > その8 河村剛先生との出会いに感謝しています、今でも。
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白戸 |
今、改めて思うのは、やっぱり「河村剛史先生に感謝」だね。最初のね、河村剛史先生との出会いに感謝しています、今でも。兵庫県に行ったのが、1992年だったよね。
あの「あなたは愛する人を救えますか」っていうキャッチフレーズなんだけど、河村剛史先生に「このキャッチ・フレーズ、僕がずっと使っていいですか?」って聞いたら、「いいよ」って許可してもらったんで、今でもずっと使っています。
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菊地 |
なるほどー。河村先生のところには、僕は同じ年のその次に行ったんだよね。
このホームページの「いのちをつなぐ ひとをつなぐ こころをつなぐ」で色々な方とお話させてもらっているんですけど、その会話の中に河村先生の話がけっこう出てきてるんだよね。
心肺蘇生法普及のパイオニアだからね。
それで、「お名前を載せていいでしょうか」っていうお許しをもらおうと思って、開業先に電話したんだよね。「獨協医大の菊地です」って言ったら「獨協医大…?」と怪訝そうに言われて、「岩手医大の…」って言ったら「あ〜!」ってわかってくれてみたいで。
「あ〜、何で岩手医大って言ってくれないんだ」って。すぐに「うん、いいよ。喜んで」って許可してくれました。
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白戸 |
そうだよね。開業して、今、忙しくて大変なのかな。両方やってるから。
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菊地 |
そうそう。今でもHPとかで情報発信してるからねぇ。
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白戸 |
すごいよね。そう、あの当時は心肺蘇生法がこんなに重要になるって誰も予想してなかったもんねぇ。
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菊地 |
そうだね、誰も予想してなかったよねぇ。あの頃。
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白戸 |
今でも思い出すのは、盛岡で平盛先生が会長をした集中治療学会だね。河村先生と一緒に活動していた放射線技師の森田さん。姫路の近くに住んでて、一緒にすっごい頑張っていた。
あの人が、盛岡で開催された集中治療学会で「心肺蘇生法が必要だ」との演題を発表したその時に、フロアから「何でこんな演題が通るんだ」と。「しかも医者じゃない人の演題が」って。
で、その時、平盛先生がそれを聞いて激怒して、そのあとのセッションを急遽変更したんだよ。その後のセッションは「院内での救急医療どうするか」っていう内容だったのを、それを全部やめて、
「さっき、けしからんことがあった」
って平盛先生がマイク持って、「心肺蘇生法をどう考えるかの時間にしよう」って。
いや、すごい印象的で・・・。
あの時代、やっぱり医者の中でも心肺蘇生法をやろうっていう人が少なかったんだよね。その中で、ちゃんとやろうって言ってたのが、河村先生もそうだし、平盛先生もそうだし・・・。
あともう1つは、盛岡市医師会で水沼先生と心肺蘇生法講習会をやったときかな。最初に水沼先生の講演があって、で、「これから実技やります」ってなったとき、それまで200人くらいいた人がダーッって…一気に帰るんだよね。残ったのは看護師さんたちばっかりで。
あれもすごい印象的だったよね。
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菊地 |
そういう時代だったね、ホントに。
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白戸 |
うん、それが、今や本当に違ってきたんで…。
あの頃から、これが大事だって言ってた先生方ってすごいと思う(尊)。
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菊地 |
うんうん。すごいよね、そう思う。さすがだよね、やっぱり(敬)。
そんなすごい先生方とつながれて本当にうれしい(喜)。今度は自分たちがつないでいく番だね。
頑張りましょう。
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白戸 |
うん、頑張ろう。
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シリーズ 第七回目は、しろと内科循環器科クリニック院長の白戸隆洋先生にご登場いただきました。