AEDを使う心肺蘇生法(CPR)ホームページ
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第1章-古代から中世における蘇生法

20世紀の心臓病学には数々の功績があり、その後の診療や研究の推進に大きな役割を果たしている。Braunwaldは、20世紀の10大業績として報告している1。それには、心電図検査、心臓カテーテル検査、冠動脈造影、心臓血管外科手術、侵襲的カテーテル治療、冠動脈集中治療室、心臓血管治療薬、予防心臓学、心エコー図、ペースメーカーと植え込み型除細動器があげられている。その中に現在実施されている心肺蘇生法(Cardio Pulmonary Resuscitation、CPR)の確立(1960年2)があげられていないのは残念なことである。
重症例の初期の救命処置が奏功しなければ、その後の高度治療は成立しない。その意味で20世紀はCPRの確立の世紀と称して良いと考えられる2,3。CPRの歴史は新しいものではなく、様々な試みが土台に現在の形に至った。その歴史を知ることは、今後の蘇生法の進歩に役立つことと思われる4-7

(1) 旧約聖書の中の蘇生について

初の蘇生成功の事例は、旧約聖書にすでに記載がある。
エリシア(Elishia)は旧約聖書の登場人物で、紀元前9世紀代のイスラエル王国で活躍した預言者である。多くの奇跡を施したとあり、その中に蘇生法を実施したと考えられる記載がある(旧約「列王記」下巻4章)。シュネムの婦人の子供が頭痛を訴え死んだ際、その子を生き返らせた (4:18-4:37)。

初の蘇生成功事例

「エリシアがその家に着くと、子どもは死んで寝床に横たわっていた。彼は部屋に入り二人(子供の母親と自分の従者)を残して扉を閉め、主に祈った。そして寝床に上がり子どもの上に身を伏せ、子どもの口に自分の口をあて、子どもの目に自分の目を、子どもの手のひらに自分の手のひらをのせ、おおいかぶさるようにすると、子どもの体はしだいに暖まってきた。エリシアはそれから立ち上がり、部屋の中をここから向こうへと歩きまわり、同じように子どもの上に身を伏せた。すると子どもはくしゃみをして目を開けた」。
まさに、奇跡ではなく呼気吹き込み法の実践である。子供の病気の原因についての記載はないが、くも膜下出血であろうか。この覚醒時にくしゃみが生じたことから、欧米で、くしゃみの後に“God bless you”と言う所以ともいわれる6

(2) 各種の蘇生の試み

むち打ち、外部から温熱、樽の上を転がす、馬の背に乗せて走らせるなど様々な方法が用いられた。無効に終わるものや、現代につながる方法も見受けられる。しかし、科学的な裏付けがなかったため中断されたり、無視されたりするものが多く、1960年に再発見されるまで忘れられていたものが多い。

(1)温熱法

(1)温熱法

古代の人々は、人が死亡するときには体が冷たくなり、生命と熱との関連を理解していた。そのため、死を防ぐために身体は暖められた。生命を復元しようとして、暖かい灰、燃えている排泄物または熱水を身体にあびせ、生き返らせようとした。当然ながら、この方法はうまくいかなかった。

(2)むち打ち法

(2)むち打ち法

古代の自称救助者とされる人たちは、何らかの反応を得るために傷病者にむち打ちをしていた。

(3)ベローズ(ふいご)法や気道の確保法

(3)ベローズ(ふいご)法や気道の確保法

1500年代には、熱気と煙を傷病者の口にふいごを用いて吹き込むことが、まれでなかった。1530年スイスの医師パラケルススが呼吸停止の症例にこの方法を用いたと記載がある。この方法は、およそ300年間使われた。残念なことに、多くの人々はこの装置を持っていなかった、しかし、この方法による成功により、製造業者は様々な工夫をし、Bag-Valve-Mask Resuscitatorsに結びついていった。

しかしながら、その頃、医学者らは呼吸器系の解剖を知らないため、気道確保をするため傷病者の頸部を伸展させる必要性を認めなかった。1829年にLeroy d'Etiollesが、ふいごによる肺の過膨張で動物が死亡することを示し、その後この方法は廃れた。
気管挿管の試みが初めて記載されたのは、約1000年頃のペルシアの哲学者であり医師であったイブン・シーナ(アビセンナ)(アブ・アリ・アル・フセインIbn Abdallah Ibn Sinna、980?〜1037)による。「必要に応じて、金、銀あるいは適切な材料製のカニューレを、気管に挿入し、吸気を補助する」とある。アンドレアス・ヴェサリウス(1514〜1564、有名な解剖書ファブリカを執筆)は、動物を蘇生させるために管から空気を吹き込むことを記載した。
1732年に英国の外科医William Tossachが心肺停止例に口対口呼吸を実施し救命したことを報告(1744年)。パリの科学アカデミィは、溺水者に対して口対口の蘇生法を公式に推奨した。各国とも溺水による急死例の増加に対策をたて、救命組織が設立された。

(4)燻蒸法

(4)燻蒸法

1700年代には、蘇生術の新しい方法が、使われた。この「新しい」方法は、傷病者の肛門からタバコの煙を注入するものである。文献によると、煙は最初に動物の膀胱に入れられ、それから傷病者の直腸に送られた。
この方法は、北アメリカ原住民とアメリカの入植者によって使われ、1767年に英国へ導入された。ベンジャミン・ブローディが4オンスのタバコによりイヌが死亡し、また1オンスのタバコによりネコが死亡することを1811年に明らかにしたため、この方法は断念された。

(5)逆さづり法

(5)逆さづり法

1700年代の最大の突然死の原因であった溺死に対して、他の方法が開発された。逆さづり法は、ほぼ3,500年前にエジプトで施され、それは再びヨーロッパで使用されるようになった。
逆さにつり、引き上げることで呼気補助、引き上げを中断することで吸気補助とした。この時代に溺水死が増加したため、蘇生術を系統化するための組織が形成された。イングランドの王立人道支援協会は、1774に設立された最も有名な組織であった。最初に設立されたのは、オランダのDutch Society for Recovery of Drowned Personsで、1767年に設立された。
翌年ミラノ、ベニス、1769年ハンブルグ、1771年パリで設立された。オランダは運河が多く、溺水者が最大の急死原因で、まだ心臓病による急死は一般的でなかった。18世紀のこれらの救出組織は、今日の救急医療の前身であった。

オランダの勧告は以下を含んだ:

1.傷病者を近くの火で暖める、暖かい砂に埋める、あるいは1−2名のボランティアとともにベッドで暖める(そのため傷病者を輸送することを必要とした)。

2.傷病者の頭を下半身より下にして、手で腹部を圧迫することによるか、または羽毛で咽頭を刺激することで嘔吐を誘発させ、嚥下されたかあるいは誤嚥された水を取り除くこと。

3.肺、胃と腸をタバコの煙や強烈な匂いで直腸燻蒸で刺激する。

4.ふいご法、あるいは口対口、口対鼻呼吸で呼吸を再開させること「布またはハンカチーフは、不潔にしない可能性がある」というアドバイスを含んで述べられている。

5.瀉血

オランダでは、この勧告を実施し4年間で150名の救助ができたことを報告している。 傷病者を「覚醒させる」ため、身体的、触覚の刺激を含んだ方法、叫んだり、たたいたり、さらには鞭打ちが、蘇生させるために用いられた。

(6)樽法

(6)樽法

傷病者の胸部に換気をするため、救助者は大きいワイン樽に傷病者を乗せて、前後に転がす。この動きにより、傷病者の胸腔を圧迫と解除させることで、呼気と吸気を生み出す。この方法は、現代の心肺蘇生法の前駆となる方法であった。

(7)馬の速歩法

(7)馬の速歩法

1812年救護員は、救護所に馬を備えていた。傷病者が水から救出されたときに、救助員は傷病者を馬に乗せて、馬を走らせた。この動作により、胸部を圧迫と解除をすることになった。「Clean Beachesのための市民」によって、この方法が米国で1815年に禁止された。

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野々木 宏

野々木宏先生
1951年徳島生まれ
1976年京都大学医学部卒業
1986年よりチューリッヒ大学循環器科臨床研究員として留学後、国立循環器病センター内科心臓血管部門医員、CCU医長、緊急部長を経て、2006年同部門主任部長。京都大学臨床教授兼務。
日本循環器学会救急医療委員会副委員長、米国心臓協会(AHA)国際トレーニングセンター(ITC)小委員会委員長。
循環器救急医療や院外心停止救命対策、心肺蘇生法普及に努めている。