AEDを使う心肺蘇生法(CPR)ホームページ
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第2章 18世紀以降の蘇生法

1)初期の除細動行為

1775年デンマークのPeter Christian Abildgaardは、実験的に電気ショックで心停止を誘発し、エネルギーをあげると解除されることを示した5。1776年英国聖ジョージ病院の常勤外科医John Hunterは心停止の治療にふいごで酸素吸入し、電気的治療をおこなうことを提唱した8。彼はすでに1774年に電気ショックで3歳の少女を救命したと報告した。また複数の救助者がいれば、実施した手順を記録に残すように提案し、蘇生率の向上に再確認する重要性を示した。これは現代でも重要な点である。

1788年ロンドンのCharles Kiteは、搬送型の除細動器による電気ショック療法を提唱した。1820年Richard Reece はReanimation chair(蘇生椅子)で、電気ショックを使用して治療した。

2)初期の低体温療法

低体温療法

1803年ロシアで実施されていた方法の概念は、雪と氷により身体を凍らせ代謝低下をきたすことだった。残念なことは、医学者がその時代に、代謝を減少させるために凍結が必要な臓器が脳であることを認識していなかったことである。

3)人工呼吸法の開発

(1) 口対口呼吸

麻酔薬は1850年に導入され、医学的監視下にもかかわらず呼吸停止が増加した!そのため、助産婦によって蘇生される乳児を除いて、蘇生法を胸部圧迫法から口対口法に置き換えた。

(2)回転法

1800年代には用手換気の優先順位は低く評価され、関心は体熱を維持することにあった。これらは、ほぼ100年前からオランダにて勧告されていたものである。マーシャル・ホール(英国医師、1790-1857)が組織の常識に挑戦し、その優先順位に変化が生じた。彼の主張は、傷病者の搬送に時間がかかる、換気せず身体を温めるのみの方法の有害さ、新鮮な空気の有用性、仰臥位にすると舌根沈下で気道は閉塞されることである。ふいご法がすでに適用されていなかったため、マーシャル・ホールは腹臥位(呼気相)から側臥位(吸気相)へと1分間に15回回転する方法を提唱した。更に、傷病者が腹臥位時(呼気相)に背部から圧迫を加えた。これで300-500mlの1回換気量が得られ、この方法は王立協会によってすぐに採用された。これにより、その後100年間に様々な人工呼吸法の開発が行われた。

(3)シルベスター人工呼吸法

1858年ロンドンの医師であるヘンリー・シルベスターは、仰臥位で上肢を頭側に引き上げ(吸気)、それから胸の上に降ろして胸部を圧迫する(呼気)、これを1分間に15回を繰り返した。

(4)舌引き上げ法

使用されていた他の方法としては、直腸を引っ張る、身体をこする、羽毛で咽頭刺激、鼻の下で強い塩類(例えばアンモニア)を振るなどのものがあった。1892年に、フランスから、舌引き上げ法が勧告された。傷病者の口を開け、リズミカルに舌を引きあげる方法である。

(5)シェーファー法、オルガー・ニールソン法

シェーファー法は腹臥位で、背部から圧迫する方法で、これで換気と共に気道を確保あるいは誤嚥した水や粘液を排出することを可能とした(1903年)。この方法は1959年まで米国赤十字で推奨されていた。オルガー・ニールソン法は腹臥位、頭部の下に手を置き、胸部を押圧することによって呼気、肘をリフティングして吸気するものである(1932年)

シェーファー法

図:シェーファー法

オルガー・ニールソン法

図: オルガー・ニールソン法

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