AEDを使う心肺蘇生法(CPR)ホームページ
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第4章 心肺蘇生法の再発見と確立

1960年は、それまでに開発されたが忘れ去られていた人工呼吸法(口対口呼吸)、循環確保法(胸骨圧迫心臓マッサージ法)、電気的除細動と3つが揃って統合された年である。これらの方法は開発されたというより、Safarが記述しているように再発見されたものである。口対口換気と心臓マッサージが組み合わされ、現在の心肺蘇生法が誕生したのは、サファー、ジュード、ハケット、クーベンホーベンが、それぞれの見知を持ち寄って1960年9月16日に年次メリーランド医学会会議で検討した結果である。

サファーは換気と循環の維持が重要であると強調した。
ジュード(Jude)、ニッカボッカー(Knickerbock) 、クーベンホーベン(Kouwenhoven)が閉胸式心臓マッサージとして報告した2
Zoll,Lownらにより、電気的除細動も確立された。

したがって、現代のCPRの開幕は1960年といえる。この心肺蘇生法を啓発するために、ジュード(Jude)、ニッカボッカー(Knickerbock)とサファー(Safar)は、世界中を回った。

1962年に、ゴードンは、デービッド・アダムズと一緒に、「The Pulse of Life」と呼ばれている27分のトレーニング用映像フィルムを作成した。フィルムはCPR講習で使われて、何百万もの受講生によって見られた。フィルムのために、ゴードンとアダムズはCPRの流れが記憶しやすいようにA、B及びC、すなわち気道、呼吸、循環におけるステップであることを示し、今日まだ使用されている。

これを元に、CPRを実施するため国家的および国際的なガイドラインが作成された。米国心臓協会は医師に閉鎖式心臓蘇生術を知らせる計画を始めて、一般市民に対するCPRトレーニングの先駆者となった。1963年心臓専門医Leonard Scherlisは米国心臓協会のCPR委員会を始めた、そして、同じ年、米国心臓協会は正式にCPRを認めた。1966年米国科学アカデミーの全国科学研究協議会NAS-NRCは、心肺蘇生に関する特別会議を招集した。会議はアメリカの全国赤十字や他の組織からの標準的なCPRトレーニングの要請の結果であった。

その報告書をうけたAHAは、その後、NAS-NRCや米国赤十字社などと協力しながら医療従事者への教育・啓蒙活動を行う一方、1973年にはCPRとECCに関する第2回目の会議をNAS-NRCと共同で開催する。ここでは、CPRの概念をBLS:一次救命処置のみならず、ALS:二次救命処置にまで拡大し、さらにBLSに関しては一般市民に対する教育の必要性などが協議された。心肺蘇生(CPR)と緊急心血管治療のため1974年、AHAがJAMA誌上で公表したのが、AHAにとって初めての公式な指針である。

口対口換気と心臓マッサージが組み合わされ、現在の心肺蘇生法が誕生
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