AHAの取り組みに続き、ヨーロッパでは、AHAのガイドラインを、各国ごとの事情に合わせて取り入れるようになり各国が共通の蘇生法を利用できるマニュアルを作成しようとする機運が高まり、1989年には、ヨーロッパ蘇生協議会(ERC)が結成された。AHAはこれまでのデータに新しい研究や実績などを加え、その時々で最新・最良の蘇生指針を約6年ごとに発表し1992年の改定時には、世界共通のガイドラインにするべく、世界各国に会議への参加を呼びかけた。その結果この会議には42カ国もの国々が参加し、同年秋にはAHAやERCが中心となって、国際蘇生連絡委員会 (ILCOR) が設立された26。
図: ILCOR設立当初の参加国と地域 (クリックで拡大)
ILCORは、院外心停止に対する国際的登録基準を作成したウツタイン会議のメンバーが母体となり1992年に設立され、米国、カナダ、欧州、オーストラリア・ニュージーランド、南アフリカ、ラテンアメリカの各蘇生協議会が加盟した。アジアからは日本、シンガポール、台湾、韓国、中国がオブザーバーとして招聘されていた。日本はILCORからの加盟依頼を受けて、日本蘇生協議会 (JRC) を結成するなど加盟に向けた準備を進めてきた。しかし、ILCORの定款が改正されて、加盟のためには「複数の国家または地域からなる蘇生団体であること」が条件となったことなどから、日本、シンガポール、台湾、韓国により、アジア地域の国際蘇生団体としてアジア蘇生協議会(Resuscitation Council of Asia, RCA)が2005年に設立され、翌年ILCOR加盟が実現した。
図:1990年ウツタイン会議のメンバー
AHAの発行する心肺蘇生の指針は、1974年以後、その名称をStandardsからGuidelinesへと変更しながら、1980年、1986年、1992年と、6年ごとの改訂を経てきた。この流れから考えれば、1998年には最終の改訂が行われていたはずである。ILCOR Advisory Statementsが完成したのは1997年である。この改訂作業が2000年にまでずれ込んだ理由は、度重なる会議と膨大な資料が必要であり、そのための国際協力も欠かせないという事情もあったものと推測される。2000年に発表されたガイドライン(G2000)は、心肺蘇生の国際ガイドラインとして発表され、世界の標準として広く知られる。G2000は、ILCORとAHAによる真に国際的なガイドラインであり、世界におけるCPRの標準化を目指したものである。その特徴は、大規模試験によるevidenceに基づき勧告の優先度が決定されたこと、自動体外式除細動器(AED)の実施をはじめとする市民の積極的な関与が謳われていることが特徴である。
図: 心肺蘇生法ガイドラインの歩み (クリックで拡大)
その後2005年11月、ILCORから蘇生に関するデータの集大成として「心肺蘇生と緊急心血管治療のための科学と治療の推奨に関わる国際コンセンサス(CoSTR)」が発表され、心肺蘇生のガイドラインは、このCoSTRに基づき、各地域や国の実情に合わせて作成することとなり、AHAと欧州蘇生協議会(ERC)からガイドライン改訂の発表がなされた。
ILCOR勧告の作成方法:国際ガイドラインの作成は、極めて綿密に行われ、純粋に科学的根拠に基づき実施されている。2005年作成時の具体的な方法は、蘇生に関する400以上のトピックスから276が選ばれた。3年間の作業日程で前回ガイドライン作成以降の新しい論文を中心に2万件以上の論文がレビューされ、それぞれ2名の担当者により1つのトピックスあたり数百の文献から科学的に信頼性が高いものが選出され、403のワークシートが作成された。380名の専門家により5回の国際会議が開催された。
最終のコンセンサス決定会議が2005年1月にダラスで開催された。本会議と分科会において358名の参加者により、科学的な妥当性を十分吟味され勧告(コンセンサス)の一字一句まで修正が行われた。作業は早朝から夕刻まで10時間以上にわたり、1週間かけて、全てのトピックスに対してエビデンス内容の最終分析が行われ、それぞれのトピックスに関する科学的な勧告が確定された。得られたコンセンサス(2005 International Consensus on CPR and ECC Science with Treatment Recommendations (CoSTR)) は、タスクフォースにより最終確定され、2005年11月のCirculation誌とResuscitation誌に発表された。同様の作業が、2007年から3年間にわたり予定され、2010年のCoSTR作成がなされる予定である。
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