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いのちをつなぐ ひとをつなぐ こころをつなぐ

人生いろんな事ありますよ・・・。アメリカに行ってなかったら、今も外科医やってたかもしれない。
真弓 まぁ、面白いといえば、面白かったけどね。で、まぁ、それだけたくさんオペをやったから、もう外科医はいいかなと思って、救急・ICUに替わったの。大垣市民病院からアメリカへ行って、留学から帰ってきて1年半ぐらいたってからかな。
菊地 へえーっ。自ら希望して変更したんですか。
真弓 いや、今の教授に・・・武澤教授に「来ないか」と言われて。スタッフが他の病院へ行くからと辞められる時期で、ちょうど入れ替わりだったみたいだしね。

まぁ、でも、救急・ICUは面白くていいですよ。ほんとに、やり甲斐があって。学生のころは内科系もいいかなと思ってた。内科系だったら、循環器内科やろうかなと思ってた。

だけど、外科のほうが、はっきり人が救えたかどうかというのが判るから・・・やっぱり外科の方がいいかなと思って外科にしたんだ。けれど、外科が扱う「ガン」というのは、結果的に5年生存率で判断することになるじゃないですか。だから、5年間待たないといけないんだよね・・・(苦笑)。
菊地 ええ(苦笑)。
真弓 まぁ、だけどね、人を救えるというのは、ほんとに良いことで。こんなありがたい商売は無いと思うね。人から感謝されるというのはスゴクありがたいと思ってる。まぁ、そういう点で選んだんですよ。

救急・ICUとかね、まぁ非常にやりがいのある分野だから、ぜひ若い人に入ってもらいたいなと思いますけどね。
菊地 現在、研修医は何人ぐらいですか?
真弓 研修医は10人前後かな。
菊地 10人ぐらい。みんな、名大卒業生ですか?
真弓 名大卒業生はほとんどゼロ。
菊地 ほとんどゼロ? 名大卒業生はどこ行っちゃうんですか?
真弓 教官たちがみんな、「名大では研修しない方がいいぞ」と言ってる面もあるし・・・。もともと「市中病院へ出て、1年間いろんな科をみて、それから入局しなさい」というのが名大システムだったんですね。だから、そういう面では非常に良かったかなと思ってるんです。
菊地 ふーん。それじゃ、先生が大垣市民病院に行ったのは、研修で行ったんですか?
真弓 そうそう。研修で大垣市民病院に行って・・・。で、そのまま外科に入って。今は名大の外科も途中3年ぐらいすると、違う病院に一旦移して、また数年して大学にというパターンなんだけど、その頃はそういうシステムになってなくて、基本的に、行って、そこに残ったらずっといて、7年ぐらいしたら大学へ戻ってというパターンだった。

で、僕がそのパターンで、大学に戻るはずになっていたんだけど、ちょうど大垣市から名古屋に引越しをする前日に、研究会でたまたま二村先生・・・うちの昔の外科の教授ね、に会って、「オイ、お前、外国に行かんか?」とか言われて・・・。

で、そこで急遽話が出たから、あわてて引越しをストップして。言われるのがあと数日遅かったら、また大きく変わったかもしれない。
菊地 へぇー。
真弓 まぁ、人生いろんな事ありますよ・・・。だから、そこでアメリカに行ってなかったら、今は無かったかもしれないですよ・・・。今も外科医やってたかもしれない・・・。
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シリーズ 「いのちをつなぐ ひとをつなぐ こころをつなぐ」 の第四回目は、名古屋大学の真弓俊彦先生にご登場いただきました。