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いのちをつなぐ ひとをつなぐ こころをつなぐ

このままでは麻酔科医が「手術室のただの挿管マシン」に成り下がってしまうことが悔しいのです。
瀬尾

これまでも、麻酔科学会でも地方支部でACLSコースを率先して開催してきた地域もありますが、それでも麻酔科学会の会員の受講者が少なくて・・・。

そのことを憂慮しています。

菊地

当初の循環器学会員も同じようなものでした。

地方会でACLSコースを開催しても受講者が循環器学会員だけで埋まる事はありませんでした。

でも、先生が感じているように麻酔科医の意識はやっぱり変わったんでしょうか。

瀬尾

僕が30年近く前、麻酔科医になったばかりの頃、そのころは大学病院だと救急患者もほとんど来ないし、手術をするにしても診断名がはっきりわかっているものを手術するというようなことで、「これでは学問だけ知っていて、技術的なものが身につかないな」 というふうに思っていたんです。

そんな頭でっかちで手が動かない自分に反省して、4年目に大学を出て、後輩と二人で1000床あった神戸中央市民病院へ麻酔科医として赴任しました。

そこは毎日が興奮の日々でした。心臓手術ではそれまで大腿静脈からカットダウンで挿入していたスワンガンツカテーテルを内頸静脈や鎖骨下静脈から挿入したり、まずは外科医から教わって見よう見まねで、ドキドキしながら身につけていきました。

救急部には毎日のように顔を出して、火傷患者や中毒患者や外傷患者を一晩中診たりしていました。

菊地

麻酔、集中治療、救急がダイナミックに変化していく時代だったんですね。

瀬尾

そうね、今思うと、救急救命センターの先駆けで、いろんな患者さんも来て、それに対して我々麻酔科も他科の先生と協力して、戦場のような救急医療をやっていた・・・。

そうやって、神戸中央市民病院での麻酔科医としての信頼を得ることができるようになりました。

当時の心臓外科部長が 「患者管理はすべて麻酔科に任す。外科医は如何に上手に手術するかだけだ」 と言ってバックアップしてくれて、我々を盛り立ててくれました。

赴任当初、心臓手術の麻酔は麻酔科医にかけさせてもらえなかったんだから・・・(苦笑)。

瀬尾先生
菊地

えっ?そうだったんですか・・・。

瀬尾

うん、そう・・・(苦笑)。

こうして「神戸中央市民病院」時代に、現在の私の臨床の基礎が育まれました。

「麻酔科医はオーケストラの指揮者のようなもの」 で、「各々の診療科をハーモニーさせて患者にとって最良の治療を提供する役割である」 との思いとともに、命を守り、苦しさを和らげることを求めて走り回っていました。

神戸での8年間の赴任の後、京都大学で集中治療部と救急部を作るというので戻って、その後自治医大の大宮医療センターから本院に移り、相変わらず前だけを見て走っていました。

でも、最近、ふと周りを見渡すと、風景が急激に変わってきているのに気づきました。

あまりにもサラリーマン化した麻酔科医の姿が目立つようになりました。

手術室で黙々と挿管し、手術をこなし、時間が来ればスーといなくなる 「挿管屋」。新しいことには挑戦しない人達・・・。

こんな麻酔科医がいくら増えても患者さんから信頼を得ることができるでしょうか。

学会の体裁や面子というような低次元のことでこのようなことをやっていきたいと考えているわけではないんです。

このままでは 「手術室のただの挿管マシン」 に成り下がってしまうことが悔しいのです。

菊地

う〜ん。そういう時代なのでしょうか。

瀬尾

もう先頭に立って進む期間はそれほど長くはありません。

立ち止まっている、いや後退している多くの麻酔科医を一歩でも前進させたいという気持ちから、残りの指導者としての期間を賭けてみようと考えています。

まあ、旧きよき時代を憧れる年寄りのノスタルジーなのかも知れません。

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シリーズ 「いのちをつなぐ ひとをつなぐ こころをつなぐ」 の第六回目は、自治医科大学の瀬尾憲正先生にご登場いただきました。

自治医科大学麻酔科

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