心肺蘇生法の事始め:日本循環器学会が動いた


2007年8月

国立循環器病センター 心臓血管内科  野々木 宏


循環器の臨床に携わる者は、患者の急変時には十分対応ができるという変な自信がある。ところがまともに教育を受けたわけではなく、現場での経験で叩き上げてきたと言って良い。しかし、救急蘇生の現場は、混沌とした修羅場となることがまれではない。これまで、心肺蘇生法の教育をすることがあっても、受講してみるということは、自分自身でも考えてもみなかったが、機会あり米国心臓協会(AHA)の指導者養成コースに参加するチャンスに巡り会った。

当時、その後の自分の生き様まで大きく影響されるとは思ってもいなかった。その経緯と大きく変わってきたわが国の蘇生教育の状況を概説して、prefaceにかえたい。

急性心筋梗塞症は、過去30年間に再濯流療法等の導入によりCCU入院例の死亡率は低率となり、5%以下となってきた。私どもも循環器疾患の高度医療を捉供し、最重症例への予後改善に努めてきた。しかし、病院に到着するまでに突然死する症例も少なくなく、高度先駆的治療を提供するには、診療のフォーカスを院内のみならず、院外へ求めるべきであるという観点が必要となってきた。最初に手がけたのは、地域連携をすることで、早期診断・収容することをめざしたCCUネットワークの構築であった。この組織で急性心筋梗塞発症の実態調査と空床ネットワーク構築を行った。同時に急性心筋梗塞症と脳卒中の院内受け入れ態勢整備のため、それぞれの集中治療室の医師と救急隊とのホットラインを設置し迅速な受け入れを開始した。

このような活動を契機に、公的研究においても循環器救急医療をテーマとして取り上げていただいた。急性心筋梗塞症の全国的な発症数や死亡率に関するデータが全くなかったことから、発症状況を地域を抽出して、その地域の全急性心筋梗塞症の調査を実施した。その結果、発症数は10万人あたりおよそ60名で、その致命率は約20%と高率でその半数が院外死であることが明らかとなり、死亡の状況は米国と同様の結果であった。これらの事実から、私の救命率向上対策の視点は自ずと院外へ向けられた。ほぼ同時期に開始された大阪府での院外心停止全例登録事業と連携を始めた。この事業は、全国に先駆けて1998年から全消防本部と救急病院の協力の下に、国際標準化されたウツタイン様式を用いたものである。

全症例のデータベース構築と解析システムの開発を厚生科学研究により行い、8年間で約4万例の心停止数という世界で最大規模の院外心停データベースを構築した。これは、国際的にも注目されているデータベースである。院外心停のうち心原性で目撃のある心室細動例の救命率は約30%と年々改善を示している。この要因は市民のCPR実施率の増加と通報から除細動実施までの時間短縮である。課題は、院外心停止のうち心室細動率が約20%と低率であることである。これは、通報の遅れと市民のCPR実施率がなお低いことが大きな要因と考えられる。したがって、今後の対策は、AEDの普及と市民によるCPR実施率をあげることである。
このような流れから、CPR普及啓発が必要であり、医療従事者が標準的なCPRを学び、蘇生のリーダーとして市民啓発も含め取り組む必要があるとの認識になった。

わが国では、救急に関わる各団体が、米国心臓協会(AHA)を中心としたガイドラインを導入し、それぞれ蘇生教育を行っていた。しかし、米国の循環器学会であるAHAにあたるわが国の循環器学会の反応は芳しくなかった。 2000年国際ガイドライン後、わが国における蘇生の統一を図るため日本蘇生協議会(JRC)が発足し、AHAとの国際トレーニング組織の設立契約が2003年に締結された。その結果、わが国でAHAトレーニングコースが開催できるように、JRC加盟学会や組織から10名の代表者推薦を受け、米国で実際のAHAトレーニングコース(BLS、ACLSのそれぞれのプロバイダーコース及びインストラクターコース)を受講した。

その当時、丁度夏休みであり、日循関係者からは積極的な希望が得られず、JRC委員であった私は、年長者ということもあり派遣団長という命を受けて参加せざるを得ない状況に追い込まれた。厳格な筆記試験と実技試験が待ち受けて全て英語であり、参加者は不合格になれば日本に帰れないという悲壮な覚悟で、必死でかつ貴重な経験をして、晴れて全員合格した。おかげで私の2003年の夏休みはそれで終了した。

10名の派遣団は、その後各学会がすぐには体制を構築できなかったため、NPO団体である日本ACLS協会のもとでJRCから委託を受けた形で、全国でAHAコース開催が可能となるように指導者を養成して、BLS、ACLSコースの展開を行った。AHAの提唱する質の高いトレーニングコースは、教育学的にも非常に良くできたもので、これを学会がガイドラインのみならず、テキストや視聴覚的な教材、指導者用のマニュアルまで作成し、組織的に実践し、医療従事者のみならず一般人までの教育啓発を行っているのには感服した。地域を究極のCCUにするという高邁な理念をあげての活動は、これまでの自分が求めていたことに合致するため、その後4年間ほとんどの土日を割いて、志をともにする方々とコース開催や地域のトレーニング組織の構築を行った。

50歳を越えてからの手習いということで、家族からも無理をしないでという忠告のもと、幸い多くの人材が育ち、関西でも各府県にトレーニングサイトが設立され、毎週のように各地域でコースが開催されるようになった。全国で受講者は月に2,500人で、総計4万人あまりとなっている。学会での共催コースも行い、日本循環器学会においても心肺蘇生法普及委員会が設立され、各地域で地方会にあわせてACLSコースを開催してきた。

当初は会員の参加も少なく、前途が危ぶまれたが、本年になり理事会の英断でAHAと直接契約を行い、かつ専門医取得の際にAHA−ACLSコース履修を必修化することが決定された。これは、AHAの長年のアカデミックパートナーであった日本循環器学会が、とうとう実践の部分でもAHAと歩調を合わせて活動を開始し、将来的にはわが国からの蘇生や循環器救急医療を国際的にもリードあるいはエビデンス発信するという決意の現れと信じたい。その決意は、本年の夏休みに東京で理事・役員の方々が初心に戻って、AHA−ACLSコース2日間受講いただき、熱心に胸骨圧迫やACLS手技に取り組まれていた姿にあらわれていると感銘を受けた。今後の日本循環器学会のコース開催には、多くの指導者を養成する必要があり、皆様方の参画を期待したい。


循環器疾患特に心臓疾患と脳卒中に焦点を当て、いつでもどこでも誰でも高度な循環器救急医療が早期に受けられる体制をつくり、救命率の向上をはかりたいと考えている。その牽引は、日本循環器学会のこのCPR普及啓発の決断から拍車がかかるものであり、多くの方々との連携により、はじめて成り立つものである。しばらく、休日の旅行やゴルフを楽しむ時間は先延ばしになりそうである。
大阪ハートクラブの皆様方からのご支援をよろしく御願い致します。


当ページは野々木先生の許可を得て掲載しています。


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