AHA 心肺蘇生法の教育 −普及と教育法としてのシミュレーションの利用−

2006年1月13日 「弘前大学における教育」より


弘前大学医学部医学科 内科学第二講座 講師  花田裕之


皆さんは「ヒポクラテスたち」という映画を観たことがありますか?20年ほど前、私が学生だった頃に上映された映画です。臨床実習をしている、卒業間近の医学生を描いたもので、伊藤蘭、時任三郎などが出ていました。映画の中で、彼らの臨床実習は5-6人のグループで各臨床科を2週間ほどの単位で廻っていました(本学もほぼ同じです)。そのグループが、あるとき、町をみんなで歩いていて、交通事故の現場に出くわします。そのとき、彼らは、持っていた医学書と白衣が見つからないようにそっと隠して、何もしないでその場を立ち去るという場面がありました。どうして医学生なのに何もしないのか、と怒りを感ずる人が多いと思います。医学的知識がある人は、誰かが目の前で倒れたりしたときに適切な処置をしてくれるものだ、と思っている方が多いと思います。

しかし、当時医学生だった私にはそのときの彼らの心理がよく理解できました。実は、日本の医学教育の中ではそのような処置は全く教えてくれてはいませんでした。いえ、教科書には書いています。講義でも教わります。大学の筆記試験でも出題されます。しかし、私が受けた頃(20年前)の国家試験では、そのような救急蘇生に関する問題は皆無でした。日本の医学界自体、あまり興味が無かったのでしょう。では知識で知っていて、実際に目の前で人が倒れたときに対処できるのでしょうか?

まず、意識があるのかないのか確認します。意識がなければ119番通報ならびに、自動体外式除細動器(AED)を持ってくるように依頼します。外傷が疑われない場合は頭部後屈、あご先挙上を行って気道を確保して呼吸を確認します。外傷が疑われる場合は下顎挙上法で気道を確保し、呼吸を確認します。呼吸がなければ呼気を2回、1回2秒かけて胸が挙がるまで吹き込みます。呼気の吹き込みは可能ならポケットマスクやバッグバルブマスクといった感染防護器具を用いて行います。人工呼吸を2 回行ったら、息、咳、体動を頸動脈を触知しながら確認して、循環のサインがあるかを確認。循環のサインがなければ心臓マッサージを行います。もしAEDがあればAEDを使用します。AED がなければAED がくるか、救急チームが到着するまで蘇生手技を続けます。心臓マッサージの位置は乳房の間で、速さは1分間に100回のペース、深さは3−4.5cmぐらいです。15回の心臓マッサージを行ったら2回の人工呼吸を行います。この15:2の心臓マッサージと人工呼吸を4回繰り返したら、循環のサインを確認します。循環のサインが無ければ心臓マッサージと人工呼吸を繰り返します。

以上は具体的な蘇生の流れと手技を解説したものです。さて、これを読んだ人が暗記したとして、実際に出来るでしょうか。気道の確保の具体的なイメージはわきますか?本に具体的な絵や写真、解説も載っていて、イメージがつかめても、これを暗記して覚えただけでは実際の救命は出来ないだろうということは、誰でも想像できます。これまではどのように教育されてきたのでしょうか。

私が研修医の頃(15年以上前)はそのような場面は突然やってくるのでした。具体的な研修制度もない時代、大学病院で数ヶ月基礎を学んだあと、周辺の病院に勤務します。そして、ある晩の当直中、突然心肺停止の患者さんが運ばれてきて、教科書で覚えたことを何となくその場でやってみる、というのが我々の頃の“学習”でした。学習=実践でした。今では行いませんが、当時は末期ガンの患者でも心停止になった場合は蘇生手技を行っていましたので、それが“練習”の場でした。すなわち、臨床の現場で(運が良ければ先輩と一緒に、機会がなければ独学で)やりながら覚えていく、on-the-job training が蘇生を学ぶ方法でした。その蘇生方法・手技は先輩に依存しており、手技の順番や具体的なやり方も施設や教える人によって色々でした。この結果、日本の医療関係者の多くは、実はあまり心肺蘇生を知らないという状況になってしまいました。きちんと教えてこなかった医学教育の責任であります。

救命の連鎖(AHA BLS ビデオから)
救命の連鎖(AHA BLS ビデオから)

ここ数年の間に救命蘇生法の普及についていくつかの転機があり、救急蘇生法が正確に、系統的に、医療関係者のみならず一般的にも広がり始めました。その1 つがAED の使用が医師以外の全ての人に認められたことであり(平成16年7月)、アメリカ心臓病協会(American Heart Association, AHA)が確立してきた救命蘇生法教育法の導入(平成15年10月)であり、研修医の必修項目に救命蘇生法が加わった(平成16年4月)ことです。弘前でも平成17 年2 月に初めてAHAの救命蘇生コースを開催し、17年4月に日本で27 番目の地域トレーニングサイトとして認められ、AHA の心肺蘇生講習を開催しています。現在行っているコースは1 次救命措置(Basic Life Support, BLS)と2 次救命措置(Advanced Cardiac Life Support, ACLS)です。

AHA では「救命のための4つの連鎖」(上図)をうまく繋げることが救命につながると教えます。成人の場合その4つの輪は1 つ目が早期通報、2つ目が早期の心肺蘇生、3つ目が早期除細動、4つ目がACLS です。このはじめの3つの輪を覚え、実際に出来るようにするのがBLS で、医療関係者のみならず一般の方も対象に行っています。1日をかけて、成人、小児、乳児の心肺蘇生、AEDの使い方、気道異物による窒息の解除を覚えていただきます。受講生3人に対して1体のマネキンと、訓練されたインストラクター1名がついて、実際の手技が正確に出来るように指導します。実際にマネキンを用いることで、例えば心臓マッサージの位置・深さ・頻度を実際に実行可能な手技として身につけてもらうわけです。その手技がインストラクターによって違わないように、watch then practice という方法で行っていきます。

すなわちビデオの中のインストラクターが手技を段階毎ごとに示し、それをまねしながら覚えていくやりかたです。ビデオは必要なところはアップになったり、止まったり強調されながら進みますから、理解しやすく作られています。この教育方法は、色々な研究をもとに改良が積み重ねられて現在の方法に至っています。

4 つ目の輪、ACLS は、薬剤や気管挿管器具、除細動器を用いて行うもので、主に医師、救急救命士、看護師、臨床工学士など医療関係者を対象にしています。このコースの特徴は、実際に臨床に用いている器具や除細動器を使い、シミュレーションを行っていくことです。マネキンはコンピューターでインストラクターによりコントロールされ、呼吸や脈拍が実際に聞こえたり触れたりでき、心電図もコンピューターでコントロールされます。例えばインストラクターが「1時間前からの胸痛を訴えている男性が救急外来を受診しました。○○さん診察してください。」と指示し、受講生○○さんが診察を始めます。○○さんの質問(問診)にはインストラクターが答えていきますが、心電図モニターをつけて診療を始めた頃、患者は突然意識を失い、心電図が(インストラクターのコントロールで)心室細動を呈します。受講生はこれを除細動器や薬剤、挿管器具などを用いて適切に治療していく課程を実技として学んでいくわけです。

このようなモデルケースを5人のグループに5つのケース行い、5つの課題を学んでいきます。2日間にわたるシミュレーションと講義などで、1 の基本的な病態、すなわち、呼吸障害、BLSで処置する心室細動、心室細動、無脈性電気活動、心静止、急性肝症候群、徐脈、不安定な頻拍、安定している頻拍、急性虚血性脳卒中を学びます。シミュレーションは飛行機パイロットの訓練などに取り入れられている教育方法です。これまでの臨床の医学教育では、何例か観見たらやってみるといった、練習と本番が一緒のon-the-job training がほとんどでしたが、これからはシミュレーション手技をとりいれた、off-the-job trainingを取り入れていくべきであると考えています。

AHAのBLSのビデオはテレビ番組の“ER”の様な救急室に心肺停止患者が運ばれてくる場面から始まります。医師の指示のもとに現場で救急隊員が入れた挿管チューブと静脈ラインを確認して薬剤投与が行われるところで「カット」と声が入り、「テレビ撮影では、専門家の指導のもと、うまくいくまで何度でもやり直しがききますが、実際に目の前で人が倒れたときあなたがとる行動はやり直しがきかないし、その行動が目の前の人の命を左右するのです。」という解説で始まります。このような救命蘇生といった状況で、落ち着いて正確に行動し、傷病者を救命するための手技を学ぶ方法として、シミュレーション教育という方法は優れていると思います。

BLS もACLS も知識の確認には筆記試験が行われますが、コースの前にプレテストが受講生全員に郵送され、受講生は知識の整理ができるようになっています。

弘前では初めは、救急に深く関わってきた人の受講が多かったのですが、最近は、学生、研修医が多く受講してくれるようになりました。内科系では循環器専門医だけでなく消化器や内分泌を専門とする医師の受講も増えてきました。医学教育で最近取り入れられたものに客観的臨床能力試験(OSCE)がありますが、その中には救命蘇生手技が取り入れられています。弘前大学医学部ではこの救命蘇生手技の指導の中にAHA のBLS を取り入れようと考えています。時間的、人的制約から今年度はカリキュラムの中での実施はできませんでしたが、2月25日と26日に医学部4年生の希望者を対象としたAHA のBLS コースを行う予定です。

若い世代の医師は興味や必要性を感じて、研修医は必修化の項目であることからも受講者が増えています。今後は学生時代から蘇生法を身につけていくことは当たり前のことになっていくでしょう。映画「ヒポクラテスたち」の時代の医学生は救急現場に手を出せませんでしたが、昨年開かれた愛地球博では、医学生がAEDを使用して見事に救命しました。

先日、青森地域広域消防事務組合から表彰された、弘前大学医学部附属病院の1年目の研修医、二神梨絵さんはBLSを受講した一人です。人が倒れているところにたまたま車で通りかかり、見事に蘇生手技を行いました。そのため、その倒れた人は神経的な異常を全く残さず回復しました。蘇生法にあまり興味のない先輩医師や先輩医療関係者も、後輩に触発されて、ぜひ蘇生法を身につけていただきたいと思っています。蘇生法の普及で、例えばアメリカのシアトルのように、弘前ではどこで倒れても大丈夫、というのが目標です。

弘大附属病院研修医 二神梨絵さんの表彰の様子(東奥日報より)
弘大附属病院研修医 二神梨絵さんの表彰の様子
(東奥日報より)

AHAのコースは医療関係者だけを対象にした、専門性の高いものばかりではありません。広く普及しつつあるAEDを中心として、一般の方を対象とした、「ハートセーバーAED」という半日コースもあります。興味のある方、連絡ください。AHA のコースを受講された方には国際的に認められたAHA の受講カードとピンが与えられます。

AHAのBLS、ACLS についての詳しい解説などは、アメリカ心臓病協会日本部会緊急心臓血管治療プログラムのホームページを参照ください。

弘前でのコースの開催予定、内容、案内などは、弘前ECC トレーニングサイトのホームページを参照ください。

BLSコースの模様
BLSコースの模様

BLSプロバイダーカード
BLSプロバイダーカード

BLSプロバイダーピン
BLSプロバイダーピン

ACLSコースの模様
ACLSコースの模様

当ページは花田先生ご本人の許可を得て掲載しています。

 『ヒポクラテスたち』
大森一樹監督による日本の映画。1980年公開。自らも医大生であった大森監督が、モラトリアムの最後の1年を通して、医大生たちの日常を生き生きと描いた青春映画。

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